ハーバードにおける日本研究

 最近、米国内において日本に対する関心が薄れてきているのではないかということをよく耳にするようになりました。実際の所はどうなのでしょうか。最近の中国の台頭に対する関心の高さは無視できないものがあり、その不透明さも起因して中国関係の話題が非常に多いことは確かです。中国基金も多く中国からの学生や研究者の来訪も激増しています。ただし、それは比較の話で、ボストン界隈の大学や研究所等において日本研究自体が低調になったり日本に対する関心が低くなっているという兆候はあまり感じられません。むしろ、引き続き地道にかつ仔細に研究されているといったほうがいいかもしれません。以下、ハーバードにおける日本研究の現状について一部紹介します。
 
 ハーバード大学の日本研究というとエドウィン O.ライシャワー日本研究所が中軸です。 http://www.fas.harvard.edu/~rijs/ 1973年、日本国政府はアメリカにおける日本国研究を支援するため国際交流基金を通じて総額1000万ドルを提供し、これが日本本研究プログラムを持つ10の大学に分配されました。ハーバード大学ではその基金をもとに、駐日アメリカ大使としての任を終え、大学に復帰して活動していたエドウィン O.ライシャワー教授の名前を冠して、当日本研究所を発足させました。現在、政治学者のスーザン J.ファー教授を所長として、30余名の日本研究者を中軸とし、日本研究を奨励し、世界を牽引する日本研究コミュニティを作るとの旗頭のもと、ハーバードの教授陣、学生、他の機関の主な学者、訪問者等を結び支援するという諸々の活動を展開しています。今回は、以下、ほんの一部の活動等を紹介することとします。  

 ヘレン・ハーデガー教授は、日本宗教が専門で、日本に対する関心はベトナム戦争時の学生時代に始まるとか。ベトナム戦争を機に、アメリカの教育がアジア各国の歴史や文化にほとんど関心を払っていないことに気づき、日本の宗教を勉強することで自国を批判的に考察するきっかけを得たという。日本には通算9年滞在し、現代の神道や仏教の宗教組織、在日韓国人の宗教生活などに関して広範なフィールドワークを行ってきたそうです。また、教授は「日本における憲法改正に関する研究プロジェクト」のハーバード大学プロジェクト主宰者でもあります。憲法を改正するという行為は民主国家が有する特権とも言うべきものであり、日本国憲法改正は日本の政治社会の広い領域に影響を与えるということで、多義的な日本研究の振興を使命とするライシャワー日本研究所にとって理想的な研究課題と位置づけられています。このプロジェクトの目的は、改憲への動きを研究・記録することであり、その結果に対しては中立的な立場をとることを原則としています。当プロジェクトはウェブサイト http://www.fas.harvard.edu/~rijs/crrp/ より閲覧可能です。  

 アンドリュー D.ゴードン教授は歴史学部長で、近著「日本の200年 : 徳川時代から現代まで」は、日本近現代史の通史で、日本は決して特殊な国ではなく、日本の近代化の過程は他の国々と共通点が多いという立場で書かれています。  

 エドウィン・クランストン教授は、日本古典文学、特に詩歌を専門としており、博士論文は「和泉式部日記」だったとか。

 ハワード・ヒベット教授は江戸時代および近代日本文学が専門。特に江戸時代の戯作文学や滑稽本に関心が深く東大や京大に留学経験があり、著書には「日本文学と笑い研究会」、英訳に谷崎潤一郎の「春琴抄」などがあります。

 入江昭教授は、アメリカ外交史及び日米関係に関する諸問題を専門。東京で高校を卒業し、ハーバード大学でアメリカ及び東アジア史の博士号取得。著書に「日米関係50年―変わるアメリカ変わらぬアメリカ」「権力政治を超えてー文化国際主義と世界秩序」等があります。  

 ハロルド・ボリソ教授の専門は日本中世史。オーストラリア人でメルボルン大学卒。日本では東大、東京教育大学、京大、東北大学等で教鞭をとっていました。近著はpublished Bereavement and Consolation: Testimonies from Tokugawa Japan (2003).  教授の「武士」に関する教育は興味深いものがあります。 http://www.courses.fas.harvard.edu/~lac42/

 テオドル・ベスター教授の専門は文化人類学としての日本研究。1983年、スタンフォード大学にてPh.D.取得。コロンビア大学、コーネル大学を経て、2001年より、現職。 2001-03年にはアメリカ人類学会東アジア部門会長を務める。主な著書に「東京の近隣社会」「フィールドワークの現場としての日本」"How Sushi Went Global"「いかに寿司がグローバル化したか」などがあります。また、近著「築地:世界を動かす荷本の魚市場」は、築地について書かれた世界初の民族誌と位置づけられ、築地という空間の光景、息づかい、ざわめき、リズムを生き生きと描き出すことによって、その内部に息づく豊かな文化、日本の食文化における築地の役割、そして、17世紀初頭より築地市場を形作ってきた商人の伝統をみごとにあぶり出しています。 http://www.people.fas.harvard.edu/~bestor/  

 以上、エドウィン O.ライシャワー日本研究所の日本文化研究の一部を紹介しましたが、その内容は実に多彩でかつ非常に奥深いと思います。国際政治や安全保障、科学技術、医学そして経済関連といった分野についても、日本に対する関心は今のところ決して低調ではないと思います。ただし、最近の状況に懸念がないわけではなく、日本の長期経済不調や日本の政治に対する不信感は、日本全体に対する関心を低下させる要因ともなっており、ひいてはそれらが将来の日本に対する期待感や信頼感を希薄化させることにも繋がりかねません。関心の度合いの移行ということで、最近の中国やインド等BRICSの目覚しい台頭は無視できない要素です。また、アメリカで日本に対する理解が深いのは、主として教育レベルの高い東海岸と西海岸地域に限られてもいるようです。  

 結局、関心の高さは「相互に関心をもつ価値が有りや無しや?」「日本を知る機会が有りや無しや?」ということなのだろうと思います。関心を高く持ってもらうため、あるいは俗な言葉で「一目置かれる」ため、如何に日本の価値を高めるか、如何に多角的に日本チャンネルを拡大するかということが問われているのだろうと思います。お蔭様で、日本文化は世界に通用する普遍的な価値を持っていると評価されているようです。それらに対する愛着や敬意を、国際政治や安全保障の世界に如何に繋げるか?日本としての存在感や魅力を如何に主張するか? 難しい課題ですが、日本の生き残りの掛かる大きな課題です。

付記 : 中国は、国家プロジェクトとして「孔子学院」を世界各国に作り中国語教育を積極的に展開。既に日本を含め50を超える国や地域に120校以上作ったとか。それらの教師の派遣や教材の提供は中国側からなされている。アメリカでは中国経済が好調であるということから中国語履修者が急増しているが、その上に中国政府のこれらの努力が加わっている。韓国政府についても語学教育や韓国学の助成に積極的に取り組んでいる。  (ボストン在住、永岩会員記)

  

 

ボストン便り No.4